スタッフN村による着物コラム

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異常低温の2月が過ぎ、3月に入ったとたん、そこらじゅうで梅の花が紅白ピンクに咲き始めました。

青梅っつうくらいなもんで、このあたりではどこの家にも必ず梅の木が植えられています。

写真は我が家の枝垂れ梅。我が家では毎年2月に植木屋さんを頼んで、庭木の剪定を一年分やってもらいます。

なので例年この枝垂れ梅は、伸びた枝に花芽をいっぱいつけながら、無情にもバッサリ刈り取られてしまうのです。

しかし今年はいつもの植木屋さんが怪我をしてしまい、3月いっぱい仕事にかかれないということで、見事に花をつけてくれました。

2月に剪定しちゃうんじゃ、何のために植えてあるのかわからない梅ですが、こいつだけのためにまた植木屋さんを頼む訳にもいかないもんで。

せめて今年は思う存分咲き乱れていただこうと思う次第であります。

 

68.文楽の追善と襲名

 

今月は文楽です。人気の若手大夫・豊竹咲甫大夫が、六代目竹本織大夫を襲名する、その披露口上があるというので、三部構成の第二部を選択。

襲名の時は一応祝意を表して自分基準でいい方の着物にしてます。私的にはやわらか物ならそれだけでかなりいい方。

しかし木綿や紬ばっかり着ていると、やわらか物は着づらいねえ。着付け時間5割増。

帯もいつもは半幅や二部式でゴマ化してるから、久々に九寸名古屋で悪戦苦闘。しかし午後2時半開演なので、なんとか間に合いました。

着物は変わり織の縮緬…なのかな、よくわからないんだけど、ベージュ地に白いぼかしを散らし、銀色の桜の花びらを刺繍した控えめな小紋。

桜には少々気が早いですが、よーく見ないとわからないから大丈夫大丈夫(笑)。

帯は薄黄の地に銀と金の満月のような円の柄。円の縁にそれぞれの反対色でシャドウがあり、さながらこのあいだの皆既月食。銘は「皆既月食」にしよう(笑)。

羽織は一張羅の、京都ゑり善で一目惚れしてあつらえた長羽織。昔は元気だった…というか、元気な頃にあつらえてよかったー、という一品です。

もうちょっと紐をきちんと直して撮ればよかったと後悔。これにウールのマフラーだけ、という出で立ちだったので、友人に寒くない?と聞かれましたが、

ふっふっふ、実は見えない所のあちこちに必殺防寒アイテムが仕込まれているのだ。まず、羽織下。

はい、たまたまフリースの余り布があったので、ニットソーイングのできる姉の友人にちゃんちゃんこを作ってもらいました。

温かく、表にも響きません。以前はユニクロの衿なしウルトラライトダウンを着てましたが、短いので、これは腰までの長さにしてあります。

襦袢は普段保多織胴のうそつきですが、真冬はやはり正絹の長襦袢が温かい。もちろんその下にはユニクロの七分袖ヒートテックを着込みます。

足はやはりヒートテックのレギンスを穿き、さらに夏冬兼用の保多織ステテコ。

キャラコ足袋の中には足袋ソックス。私は足の幅が狭く、普段は福助の一番狭い「ささがた」ですが、ここでは一段階広い「ほそ」を履いています。

サイズは同じですが、幅広の「ほそ」なら靴下をはいてちょうどシワなくぴっちり。こはぜは無理矢理かけるので、内側の糸にしかかかりませんが(笑)。

この日は最高気温が一桁の非常に寒い日でしたが、ぜーんぜんへっちゃら。

終演後のごった返す通路でフリースの羽織下をちらっと友人に見せたら、見知らぬオバサマが「あらそうなの!?」とびっくりしていました。

 

さて文楽です。幕開きは舞踊(文楽では「景事」といいます)の『花競四季寿』のうち、春の万才と冬の鷺娘。万才は正月に二人組で門付をするアレね。

鷺娘は歌舞伎だと、玉三郎が女の情念たぎらせまくりの凄絶な舞踊にしちゃいましたが、文楽だと可憐な娘が美しく舞い踊るのみ。胸焼けしなくて結構です。

続いて口上。舞台上には豊竹咲甫大夫改め六代目竹本織大夫と、その師匠竹本咲大夫の二人のみ。中央に咲大夫の父・竹本綱大夫の遺影がどーん。

歌舞伎と違って文楽では襲名する本人は頭下げっぱなしで一言も発しません。なんで、しゃべるのは咲大夫一人。

今回は父・綱大夫の五十回忌がメインらしく、ほとんど綱大夫の話で、咲甫大夫も不惑を超えていつまでも咲甫大夫でもなかろうと、

亡父の前名織大夫を襲名させることと相成りましてございます、ということらしい。そうか、咲甫くんも不惑越えか。

折しもこの2、3日前、豊竹始大夫の訃報を新聞で見たばかり。未だ50歳という若さで、心筋梗塞だったそうな。50歳ではこの世界、若手です。

大夫の人材はいよいよ不足。パンフレットの技芸員(文楽の大夫、三味線、人形遣いはこう呼ばれる)紹介でも三業の中で大夫が一番少ない。

いよいよ奮闘が期待される新・織大夫。さて、襲名狂言は『摂州合邦辻』の「合邦住家の段」であります。

『摂州合邦辻』というのは、実に奇怪至極な物語です。河内城主高安通俊の後妻・玉手御前は、継子の俊徳丸に恋をして、酒を飲ませて言い寄るも拒絶され、

やがて病を得た俊徳丸は容貌も醜く変わり目も盲い、家督を腹違いの兄・次郎丸に譲って出奔。玉手もその後を追う。

玉手の父・合邦道心は、不義の極みを犯した娘はすでに成敗されたものと思い、老妻とともに供養をしていると、玉手が実家を頼ってやって来る。

母親は喜んで迎え入れるが、合邦は高安家への義理を思って冷たくあしらい、事の真偽を質すと、玉手は平然と俊徳丸への恋心を打ち明ける。

激怒した合邦、元は武士の気概で、成敗してくれると刀に手をかけるが、母親が必死でとりなし、玉手を奥へと連れて行く。

実はいろいろあって(笑)俊徳丸と許嫁の浅香姫はこの家に匿われていた。玉手のただならぬ様子を聞いて浅香姫と家来の入平は俊徳丸を連れ出そうとする。

それを見つけた玉手は俊徳丸にすがりつき、人の道を説く俊徳丸に耳を貸さず、毒酒を飲ませて病で醜くし、浅香姫が愛想を尽かすようしむけたと言い放つ。

俊徳丸から引きはがそうとする浅香姫につかみかかり、蹴倒し、髪振り乱して暴れる玉手を、合邦はついに刀で刺す。

苦しい末期の息のもと、玉手は真実を告白する。俊徳丸の兄・次郎丸が家督を奪うために俊徳暗殺を計画、それが夫に知れれば次郎丸の命も危うい。

継子ながら二人の息子の命を助けたい玉手は、俊徳丸に偽りの恋を仕掛け、病にして家督を放棄させれば次郎丸も暗殺を思いとどまるだろうと計画を実行。

俊徳丸の病は、毒を飲んだのと同じ鮑の盃で、寅年、寅の月、寅の日、寅の刻に生まれた女の肝臓の生き血を飲めば治る。玉手御前こそその条件の女。

玉手は自分の生き血が解毒剤になることを承知で俊徳丸に毒を飲ませたのだ。合邦号泣、俊徳感謝、浅香姫謝罪の涙に暮れる。

玉手は自ら懐剣を肝臓に刺して生き血を絞り、肌身離さず持っていた鮑の盃に受けて俊徳丸に差し出す。

それを飲んだ俊徳丸はたちまち病が癒え、目も明き、元の美しい姿に戻る。玉手は満足し、百万遍念仏の大数珠の輪の中で静かに息絶える。

ね、奇ッ怪至極でしょ? 玉手を演じる役者や人形遣いには、玉手の恋が偽りなのか、はたまた本当の所は真実の恋だったのか解釈が分かれるんだそうです。

いや、しかしねえ、私はどう考えても真実の恋だと思うんですよ。そうでなかったらこんなことできませんって。玉手はまだ十九か二十歳。

夫の高安通俊はジジイですよ。そして俊徳丸は花の十七歳。好きになっても仕方ないじゃない。しかし義理とはいえど親子の仲、そりゃ現代でも許されぬ。

まして封建時代に生きる女、息子の命を救うためとはいえ、このややこしい計画を実行し、実の父にこの念の入った大悪人、魔王とまで罵られながら、

外道に落ちた開き直りは胸のすくものがあります。原文のセリフをちょっと引いてみますと

「恋の闇路に迷うた我が身、道も法も聞く耳持たぬ、モウこの上は俊徳様、いずくへなりとも連れ退いて、恋の一念通さでおこうか、邪魔しやったら蹴殺す」

と恋敵を突き退け蹴倒し暴れ放題。これどう見ても本音でしょ。その凄まじさに観客席ではげらげら笑ってる人もいました。ドリフのコントか?

肝臓を抉ってくれという娘の頼みに合邦が、いや、さっきは勢いで刺しちゃったんで…と家来の入平に振ると、入平もいやいや奥様を刺すなんてと尻込み。

ここでも爆笑が起きてたけど、いや、笑えませんよわたしゃ。だらしない男たちを尻目に玉手は自ら懐剣で肝臓を突く。これが恋のためでなくてできようか。

偽りの狂気の中で本音を吐露し、命懸けで自分を解放する玉手御前、文楽に登場する女性の中で一番好きなキャラクターです。

このもうファンタジーとさえ言えるお話、歌舞伎で生身の役者がやるとちょっと生々しすぎていけません。やっぱり人形ならではの演目だと思います。

ちなみに歌舞伎では坂田藤十郎の玉手で見ました。あのぶっとい体で十九や二十歳と言われてもちょっと…いや、玉三郎でも菊之助でも無理だろう。

人形遣いは桐竹勘十郎。以前見た故・吉田文雀の玉手は青い炎が燃えているような女でしたが、勘十郎はエネルギッシュ。若い織大夫の熱演に応えます。

床は南都大夫から咲大夫、そしてクライマックスは織大夫というリレー。咲大夫はなんかもごもごして苦手なもんで、つい寝落ちしそうになりました。

織大夫は元気一杯、声も大きく口跡も師匠に似ず(?)クリアで、寝てる場合じゃありません。

この演目、聴かせどころは父・合邦が娘の真情を知り、感極まって叫ぶ「オイ…ヤイ…オイ、ヤイ、オイヤイ、オイヤイ…」であります。

吉田文雀の時は引退した竹本住大夫で、老父の血を吐くような嘆きが胸に迫るものでしたが、若い織大夫にそこまで求めるのはいくらなんでも酷かな。

声がデカいだけでちょっとうるせえ(笑)。次に語るのは晴れて切り場語り(大夫のトップ)になった時でしょうが、この経験は貴重なものになるでしょう。

とにかく大夫不足は大いに心配。若い大夫がどんどん経験を積んで、素晴らしい舞台を作ってくれることを切に願っています。

あ、ちなみに玉手の恋が真実だというのは私の勝手な解釈で、話の上では婚家のために命を投げ出すあっぱれ貞女の鑑、って結論ですので。念のため。

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