スタッフN村による着物コラム

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3月の初め、以前ここでもご紹介した水戸の友人の誘いで、水戸偕楽園に梅見に行く予定でしたが、コロナウィルス騒ぎで自粛と相成りました。

残念ではありますが、梅なら我が山里もそこらじゅうで満開です。拙宅の庭も紅白ピンクの花盛り。

紅梅の横のピンクは馬酔木(あしび・アセビ)です。鈴型の花が房状にみっしり咲いて、切り花にしても可愛い。(可愛い顔して実は毒ありw)

白梅は実を取るための木です。文字通り花も実もあるお役立ちな良い子ですが、去年は空前絶後なほど実が付きませんでした。今年は頑張って!

 

87.二月の文楽・六代目竹本錣太夫襲名披露

 

二月公演の千秋楽に行きました。この頃はコロナ騒ぎの首相宣言前で、まだ世の中がそれなりにのんびりしてました。

それでもいつもなら満員御礼が当たり前なんですが、空席がちらほら、観客もせっかく着物でおめかししながらマスクばっちりという人が大半。

そんな中、マスクの予防効果に懐疑的な私とその友人はマスクなし。暖かく天気の良い日だったので、二人とも着物で出かけました。

水戸から泊りがけで昨日は夜公演を観たという友人のTさんは、結城紬に西陣御召地の帯。帯揚げ帯留め八掛の色がお揃いです。

私は矢絣の西陣御召に、宜保さん紅型の半幅帯、帯留めはあかしゆりこさんというkimono gallery晏おなじみのセット(笑)。

羽織はシミの取れなくなった江戸小紋を上手に繰り回して仕立て直してもらったもの。シミは背中にひっそり隠れてます。

履物は印伝鼻緒のエナメル台の草履に、バッグは昔、韓国ソウルの仁寺洞で買った絹製のハンドバッグ。小さいけどけっこう入ります。

(韓国といえばポン・ジュノ監督、アカデミー賞おめでとうございます。『パラサイト』すんごく面白かったけど、私は『グエムル』のほうが好き)

と、映画はさておき文楽です。当月は竹本津駒太夫改め、六代目竹本錣(しころ)太夫襲名公演です。実に80年ぶりの名跡復活だそうです。

しかし文楽も歌舞伎もこのところ襲名が続いて、誰が誰やらわからなくなってちょっと困ってます。ついに海老蔵も團十郎になるみたいですしねえ。

それはともかく、襲名狂言の前に『新版歌祭文』野崎村の段。お染久松のアレです…といってももうアレでわかる人はほとんどいないだろうなあ。

実在のお嬢様と丁稚の心中事件が歌祭文という語り芸で流布した話を、芝居に仕立てたもので『新版歌祭文』。特に野崎村の段は歌舞伎でもよく上演されます。

以前ここにも書いたかもしれないんですが、野崎村といえば昔怖ろしくも素晴らしいバージョンを歌舞伎で見ました。

おみつが先代中村芝翫、お染が先代中村雀右衛門、久松が先代中村雁治郎、久作が中村富十郎、お染の母が先代中村吉之丞。当時全員人間国宝または国宝級。

そして全員故人または先代。生存者は現坂田藤十郎の鴈治郎のみ。これがねえ、全員80代前後だったと思うけど、凄い舞台でした。人間国宝伊達じゃない。

さてこちらは文楽、大阪郊外の野崎村、百姓久作の家に、大阪の油屋へ丁稚奉公に出ていた養子の久松が盗みの嫌疑で戻されてくる。

久松を連れてきた手代の小助、実は盗まれた金は彼が横領しているのだが、留守番の娘おみつに親父を出せ、金を返せと迫る。

出先から戻った久作は、小助に金を叩き返し、久松には奉公をやめ、妻の連れ子のおみつと祝言をあげよと命じる。うきうきと準備を始めるおみつ。

何故か浮かぬ顔の久松と久作が奥に入ると、門先に供女中を連れた大振袖のお嬢様。これぞ久松を慕って追いかけてきた油屋の娘・お染。

内をさしのぞき、久松はいるかと尋ねる美しい娘にピンときたおみつ、けんもほろろに追い返す。準備はできたかと出てきた久作と久松、

さっきの騒ぎでえらく肩が凝ったという久作におみつが灸を据える間に、必死で覗き込むお染に久松が気づく。目顔で今はまずいと伝える久松に、

おみつは嫌味たらたら、久松は逆ギレして食ってかかり、お灸はわやくちゃ、閉口した久作が花嫁支度をせよとおみつを奥へ連れて行くや家に飛び込むお染。

久松にすがりつき、親の決めた許嫁に嫁ぐようにと書かれた置き手紙を恨み、久松と別れて生きては行けぬと剃刀を持ち出す始末。

ほだされた久松はともに死ぬことを決意、それを聞いていた久作が、二人を懇懇と諭す。その手前、別れることを誓う二人だが、目と目で交わす心中の約束。

説得成ったと久作は、祝言をあげようとおみつを呼び出す。おみつが綿帽子を取ると、なんと髪を下ろした尼姿。おみつは二人の決心を見抜いていた。

自分が身を引けば二人の命が助かると考えたおみつの決意に、一同悲嘆に暮れる中、籠で乗り付けたお染の母が現れ、おみつの志に懇切に礼を言う。

ひとまず久松は籠で、お染と母は舟に乗り、大阪へ帰ることになる。俗世を離れた尼の身になんの恨みもないと、健気に三人を見送るおみつだが、

籠と舟が出発すると、こらえきれずに久作にすがって泣き崩れる。水路と陸路に別れたお染久松、さてその行く末やいかに…。

結末を言っちゃうと、おみつの犠牲は全くの無駄、哀れお染久松は別々に命を断つことになります。しかも今回は触れてませんがお染は久松の子を懐妊中。

いやはや、実は私、この話というか、お染久松のバカップルが大嫌いでして…とここまで書いてどうも既視感が拭えなかったんで、確かめたら一度書いてた。

当コラム45の二代目吉田玉男襲名公演、平成275月ですね。嫌いなだけあって数行で流してました。今回はやや丁寧にご紹介です()

床は最初が睦太夫、チャリ場が楽しい若手だけど、千秋楽ともあって、おみつの声がかすれてる。まだまだ。

続いて昨年襲名の織太夫、ついまだ前名の咲甫太夫と呼んでしまう。伸びやかな声に一段と艶が出た感じ。

相三味線の鶴澤清治は人間国宝、剃刀のようなキレッキレの三味線は決して寝落ちを許さない。寝かさずの三味線と呼んでいます(笑)。

切(最後)は織太夫の師で、現在唯一の国宝太夫にして切場語りの咲太夫。久作の声涙ともに下る説得は、今やこの人ならではでしょうなあ。

人形はスター級が出ていない。次の襲名狂言に出ているので、こっちは床を固めてバランスを取ったかな。

 

続いて錣太夫襲名狂言の『傾城反魂香』土佐将監閑居の段、通称吃又(どもまた)です。これも以前書いたよなあ、と遡ってみたら、

当コラムの11、平成24年にありました。こっちはストーリーを詳しく書いている(笑)ので、よろしかったらご参照ください。

冒頭、絵の中の虎が逃げ出したのを筆一本で消した功により、絵師・土佐将監の若き弟子・修理亮が土佐姓を許されるまでを若手の希太夫。

もうひとりの弟子・浮世又平が妻・おとくとともに師の見舞いにやって来る場面から、津駒太夫改め錣太夫の登場です。

吃音の又平は師匠への挨拶もろくにできず、おとくが代わりに機関銃のようにしゃべりまくる。足して二で割るとちょうどいい、と本人が言ってどうする(笑)。

夫婦は土佐の姓を願うも許されず、お家騒動の使者も許されず、絶望した又平は自害して贈り名をもらうべく手水鉢に渾身の筆で自画像を描く。

するとあら不思議、墨は手水鉢の反対側まで染み通り、手水鉢が金太郎飴状態に。この奇跡に感じ入った師は又平に土佐の名と使者に立つことを許す。

ただ、使者の口上を心配する師に、おとくは節をつければ吃らないと、又平に謡いながらの舞を促す。

又平は見事に謡い舞いおおせ、いざ出立という時に、師は刀を抜くや手水鉢を真っ二つ。もちろん金太郎飴だから切り口にもちゃんと絵が見える。

驚き抗議するおとくに、師は故事を語り、又平の魂のこもったこの絵を断ち切ることで又平の吃りが治るという。頭を下げて礼を言う又平、あら吃らない。

驚いた又平、「らりるれろ、まみむめも、さしすせそ、かきくけこ」とすらすら出てくる言葉に大喜び、勇んで出立するのだった…

ストーリーを省略しようと思ったら、エンディングが前回と違うんです。手水鉢真っ二つで吃りが治る、というのは前回なかった入れ事なんですね。

大喜びでらりるれろ、まみむめも、と確かめる又平が可愛らしく、襲名狂言のめでたさもあって、これはこれで面白かった。

錣太夫もさすがに力のこもった熱演で、人形は又平が桐竹勘十郎、おとくが豊松清十郎ですから、脂の乗り切った好配役。

絶望し、吃音を恨み、喉をかきむしる又平が、奇跡のあとは軽やかに舞い踊り、吃りが治ると飛び跳ねて喜ぶ、実にまったく生きているかのよう。

錣太夫をさしおいて、キャー!やっぱりカッコいいわあ勘十郎さん、で終わってしまった私でした。いや、良かったんですよ、錣太夫。ごめんねー(笑)。

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