スタッフN村による着物コラム

「オキモノハキモノ」 に戻る

最近着物に興味を持ち、和裁を習い始めた友人が、着付けのほうが追いついていないので、我が家でレッスンすることになりました。

着付けができたら、次の段階は外を歩いてみなければ、とそのまま飯能の街へ出て、着物ウォーキングです。

町外れの公園に車を停めて、目星をつけたお蕎麦屋さんでランチ、その後この間友人が反物の湯のしを頼んだ呉服屋さんへ行ってくる、というミッション。

蕎麦屋にも呉服屋にも駐車場あるのにー、と不満タラタラの友人たちに、ダーメ、歩いてみないといろんな問題点が見えてこない!と、スパルタ教育。

結局下駄の鼻緒がきついことがわかり、今度はネットで見つけた八王子の履物屋さんへ、足に合わせた下駄を買いに行くことになりました。

いずれは川越や浅草の着物散歩が目標ですが、着物で一日過ごすにはまだまだいろいろクリアしなければならないハードルがある模様です。

私はこの日は川越唐桟に、日暮里の古着屋で見つけた半幅帯。バッグはこの友人に教えてもらって手作りしたクラフトテープの買い物かごです。

後ろには世界でここにしかないという鉄腕アトムの銅像。なぜ飯能中央公園にあるのかはよくわかりません(笑)。

友人は村山大島に織の八寸帯、もうひとりはお付き合いの野次馬なので、私の貰い物の石毛紬と織八寸帯を着せてあげました。このミッション、続きます。

 

102.文化放送70周年記念 立川志の輔独演会

オミクロン株の蔓延で、1月の落語会をパスし、三回目のワクチンがまだまだだったので、2月の文楽も涙を呑んでパス。

3月初め、ようやくワクチンを接種でき、初のモデルナながら副反応らしいものもなく、さあリベンジだ! と意気込んでいるところに願ってもない知らせ。

落語仲間の友人夫妻から、妻のほうが仕事で行けなくなったと、立川志の輔独演会のチケットが回ってきました。

文化放送の開局70周年記念独演会だそうで、会場は東京タワーの真下の芝メルパルクホール。ほぼ東京都横断ですが、志の輔ならば遠路もなんのその。

とはいえ移動距離は長いし乗り換えも多いしで、着物は断念。平日午後三時開演という、非常に半端な時間帯で、いまだ現役の友人は有休取っての来場です。

志の輔独演会は202010月以来ですからすっかりご無沙汰。よほど頑張らないとチケット取れないので、こういう機会でもなければありつけません。

こんな時間帯ですから客席には老老男女がいっぱい。こちらも人のこと言えた義理でもありませんが(笑)。ディスタンス席でもなく、満員御礼です。

客席に白いビニール袋が配られていて、中を見たら文化放送の冊子と、龍角散タブレットが一袋。さすがは志の輔であります(笑)。

そういえば先日書店の文庫売り場を見ていたら、志の輔作の長編落語『大河への道』が映画化されるそうで、ノベライズ本が平積みになっていました。

これは志の輔が毎年PARCO劇場で行う「志の輔らくご」で数年前に初演した新作で、私はその時も今日の友人のおかげで聴くことができました。

伊能忠敬の地元自治体の公務員が、なんとか伊能忠敬の大河ドラマを実現しようと奮闘する、志の輔得意の小役人もの。

文庫本の帯の写真が中井貴一で、ちょんまげ姿と現代姿だったから、伊能忠敬と小役人と二役やるんだろうな。

そういえば同じく「志の輔らくご」で生まれた新作『歓喜の歌』も小林薫で映画化されています。ちなみにこちらも小役人ものでした。

 

文化放送主催イベントということで、幕前に男女のアナウンサーが登場して、イベントの趣旨や志の輔の持つラジオ番組の紹介などがあり、

続いて前座の志の大、『狸の札』。前回のレポを見たら同じ人でした。世話になった親方の役に立ちたいと奮闘する子狸が愛らしい。

で、志の輔登場。NHKの『ガッテン!』の終了についての言及はさすがになく、自らのラジオ番組『志の輔ラジオ 落語DEデート』の話題から。

毎回女性ゲストを迎え、古今の名人の落語を一席聞いてトークをする番組で、ゲストはほとんどが落語初心者なんだそうで、

「皆さん必ずおっしゃるのが、本当に一人でやってらっしゃるんですねえ、ってことなんですよ」まさにそこからですか!? って話ですが。

番組スポンサーの龍角散からタブレットを差し上げましたが、おうちでお召し上がりくださいとお断り。コロナ禍ならではですが、もう食べちゃったよ(笑)。

そして一席目、大工の八つぁんとご隠居の会話、とくれば、普通は『ちはやふる』とか『道灌』ですが、志の輔ならば『バールのようなもの』が鉄板。

細かい内容は当コラム92でご紹介したので今回は省略しますが、この噺は清水義範の小説が原作なんだと、友人が教えてくれました。

後日図書館で本を探して読んでみました。ニュースでよく聞く「バールのようなもの」って一体何だ? という疑問を持った男が主人公。

小説は男が一人でひたすら「バールのようなもの」の正体を追求していきますが、これを八つぁんとご隠居の対話形式にしたところが志の輔の大手柄。

「根問いもの」といわれる落語の典型的な形式ですが、八つぁんの疑問とご隠居の珍回答は、小説を離れてあらぬ方向へどんどん展開していきます。

原作と言っても、小説と落語の論理(屁理屈?)の着地点はまったく違い、共通しているのは「バールのようなもの」って何だ?という出発点だけ。

しかしその発想自体を原作として尊重しているのが謙虚ですね。他にもこの本の中の『みどりの窓口』も志の輔は落語にしています。

新作落語の名作といわれる本作、なかなか聴く機会がなくて前回初めて聴いたんですが、続くときは続くもんです(笑)。でもやっぱり面白かった。

 

続いてパントマイムのがーまるちょばが登場。志の輔の独演会には落語と関係ない芸人さんが出演するのがお約束。

が〜まるちょばは、東京オリンピックの開会式でピクトグラムのパフォーマンスを見せて話題になったコンビですが、相方が脱退して今は一人芸だそう。

東京オリンピックはなんだかいまいましくて見てなかったんですが、以前笑点か何かで見たときは確かに二人でした。

ステージが広く、一人ではちょっと空間を持て余してる感じ。パントマイムで何度も“もっと拍手を!”みたいな要求をするのにも少々げんなり。

 

休憩後、志の輔の第二席。さっき新作だったから今度は古典というのも定番です。お、『紺屋高尾』だ! 志の輔のこれは初めて。うれしいなぁ〜。

藍染の染屋(紺屋)の職人・久蔵が、生まれて初めて連れて行ってもらった吉原で、全盛の花魁・高尾太夫の道中を見て一目惚れ。

お医者様でも草津の湯でも治らない病に取り憑かれ、飯も喉を通らず枕も上がらず、高尾に会いたい、会えないなら死んでしまいたいという繰り言に、

困った親方は十五両あれば高尾に会える、死ぬ気で働いて十五両貯めろと言うと、飛び起きた久蔵はその日から脇目も振らず働いて三年の時が流れる。

十八両二分貯めた金を故郷の母親に届けろと言う親方に、久蔵はそのうちの十五両で高尾に会いに行くと言う。その思い切りの良さに感心した親方だが、

そうはいっても吉原にツテもない。遊び人で知られる医者の藪井竹庵に頼み、久蔵を流山あたりのお大尽の若旦那に仕立て上げ、吉原へ送り込む。

藍染職人ゆえに指先は藍の色に染まっているので、手は袖の中へ隠し、何を聞かれても「あい、あい」と言っていろ、と言い含められたうえに、

竹庵はくどいように、連れては行くが、花魁には会えないかもしれない、それでもいいかと念を押すが、久蔵はそれでもいいからと茶屋へ上がる。

売り物買い物の吉原で、十五両という金を持っていても、最高位の遊女である花魁に会うにはさまざまな手続きが必要で、

よしんば会えたとしても初会は煙草一服つけて終わり、裏を返すといって二度会って、三度目にようやくお床入り、というのが吉原のしきたり。

そのたびに莫大なお金がかかるからこそ、花魁は大名道具と言われるのだが、志の輔はここで裏技を使った。

花魁を呼び出す遣り手のおばさんが、その日高尾太夫が休みを取っているのを忘れていたことにしたんである。

普段気の張るお大名や大商人を相手にしている高尾太夫、なんの気まぐれか、そんな田舎の若旦那に会ってみる気になったらしい。

休みの日だからしきたりに従わなくてもいいのか、それとも花魁が久蔵に惚れたのか、めでたくお床入りとなった翌朝、「ぬし、次はいつ来てくんなます」

と聞かれた久蔵、言われたとおり「あい、あい」とごまかしていたが、ついに我慢しきれず、「さ、三年後です!」と答えてしまう。

自分はお大尽の若旦那なんかじゃなく、しがない藍染職人で、三年必死で働いたお金で会いに来た、だから次に来られるのは三年後なんですごめんなさい!

必死で謝る久蔵に、高尾は来年三月十五日に年季が明けたら、久蔵の女房になりに行くと言う。「ぬしの正直に惚れんした、ぬしの女房にしてくんなまし」。

舞い上がって店に戻った久蔵、今度は「来年三月十五日、来年三月十五日」と唱えながら前にもまして仕事に精を出す。

そして翌年三月十五日、黒塗りの駕籠が店先に止まり、現れたのは丸髷に眉を落とした高尾太夫。評判が評判を呼び、久蔵の紺屋は大繁盛、というお話。

志の輔の廓噺は珍しいと言うか、私は初めて聴きました。初会でお床入り、はおかしいというのでおばさんの勘違いを強調するのが理詰めですね。

久蔵を思いやる親方の人柄、久蔵の純朴な一途さがテンポよく描かれ、さすがの一席。志の輔のあの声で花魁言葉はちょっとキモいかも(笑)。

たっぷり一時間近い長講で、最後は文化放送のますますのご発展と、皆さんの健康と、世の中の諸々の平穏を願って三本締め。

これだけの会場だと、昨今は客席をブロックごとに分けて、順次退席させるのが普通(前の席ほどなかなか帰れない)なんですが、

主催者側が不慣れなのか、出口の扉を全部開けてしまってからブロックごとに退席のお願いとかアナウンスしてももう遅い。

ロビーに人が溢れて、演目の掲示があるのかないのか(あとでググったらあったらしい)、文化放送なかなかの不手際でした(笑)。

外はもう夕暮れ。芝大門の向こうに赤赤とライトアップされた東京タワーを見上げて、久しぶりのお上りさん気分を満喫しました。

 

スタッフN村による着物コラム

「オキモノハキモノ」 に戻る