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能管

-「能・狂言の音楽入門」 三浦裕子著 (音楽之友社)より-

能の囃子方の編成は能管という横笛のほか、小鼓、大鼓、太鼓という三種の打楽器からなり、これらの演奏者をそれぞれ「笛方」「小鼓方」「大鼓方」「太鼓方」といい、その総称を「囃子方」といっています。原則的に各楽器一人の演奏となりますが、太鼓はツクツクと軽快に刻むリズムが、神や天人など超人間的な存在を華やかに囃すにふさわしい楽器と考えられているため、曲目によっては入らないこともあります。

さて、能管に限らず笛という楽器は同じ指遣いを用いながらも息の向き、強さ、唇の張りなどを微妙に変化させることで、ちがう高さの音を出すことが可能です。同じ指孔(ゆびあな)で低音域、中音域、時には高音域と二〜三の音高を出すことができますが、能管では低音域を「呂(りょ)」、中音域を「干(かん)」と称して吹き分けています。唯一使われる高音域は、「ヒシギ」という非常に鋭い音質が強烈なものです。

リズムを吹くといわれるように、能管には旋律を美しく吹くだけでなく満身の力を込めた勢いに乗って演奏することが求められています。能におけるたった一つの旋律楽器としての存在感と、ほかの囃子に協調する打楽器としての性質と、二面性を発揮するところにもそのパワーが感じられます。

能管の素材は竹で、煙で100年以上いぶされた女竹など細目の煤竹がベストとされています。比較的大きめの歌口(息を吹き込むあな)と七つの指孔を持ち、孔の周辺と笛内部に漆が施されることで相当の強度を保っています。また、孔を除いて全体に藤巻きなどがしてあり、歌口から孔の先に向かって先細りの管となっています。

能管と雅楽の龍笛の外見がほぼ同じである点、龍笛が能管の祖と推測される一つの手掛かりとなっていますが、能管と龍笛の大きなちがいに「喉」の有無と、指孔の位置のバランスが考えられ、まったく別系の楽器である可能性も高いようです。

喉とは歌口と、歌口に一番近い指孔の間に入っている薄さ二ミリ程度の竹の管をいいます。この喉をはめ込むことによって能管の内径の一部が狭くなり、各音域に大きな影響を与えました。

まず、低音域の呂(りょ)。能で呂はそう頻繁には吹かれませんが、その低く陰影に富む音色はこの喉によって増幅されたことが音響学的に解明されています。

次に能管で最も多用される中音域の干。ここでは約一オクターブに八つの音が入っており、全音以下、半音以下の音が詰まって並んでいる箇所も多く、喉によって音程幅が圧縮されたことが考えられます。西洋音楽においても半音階からなる音楽にある種の不穏さを感じることがあるように、半音や微半音を含む音列に基づく旋律からは、緊張感が生まれる効果があるように思われます。

最後に喉によって出やすくなったともいわれる高音域のヒシギですが、たとえば龍笛でもヒシギは出ます。ただその音色が直線的で、能管の厚みのある音色には遜色があるように思え、喉によってそれがより豊かになったことが考えられます。ヒシギは神を招く古代の楽器、石笛(いわぶえ)を模した音という説があります。「ヒーヤアヒー」とヒシギに始まる能が多いのですが、客席と舞台を分ける幕にない能舞台では観客の身が引き締まるような、日常の次元と隔絶した時間と空間を作り出す作用があります。

喉がどのような経緯でいつごろ入ったのかはわかっていません。修理のための偶然の産物ともいわれますが、能管が能における唯一の旋律楽器であるということは、逆に他の楽器と音律を合わせる機会がなかったということになります。各楽器一人の演奏からは、能管同志の調子を統一する必要もありませんでした。この幸福な環境をフルに活用することが出来たのでしょう、密度の濃い音色にはこの世のものではない存在をこちらの世界に引き出すエネルギーが満ちあふれています。同じフルート属に属するフルートとピッコロにおいて、70センチ弱の前者とその二分の一の長さの後者とを比べればわかるように、笛という楽器は小さくて華奢な方が鋭い音色を発します。喉を持つ作りと40センチほどの全長と、能管は構造と容姿の両方に恵まれた楽器といえます。


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